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金沢家庭裁判所 昭和33年(家)1057号 審判

申立人 田島篤夫(仮名)

主文

申立人の本件就籍許可の申立を却下する。

理由

本件申立の要旨は

(一)  申立人は名古屋市で出生した。

(二)  申立人は父母の名を判然と記憶しないが父母は田島性を名乗り父の国籍は朝鮮にあるか日本にあるか不明である。母の本籍も不明である。

(三)  申立人は満七歳の頃まで名古屋市内で父母と共に生活していたが、申立人が七歳の頃母は病死した。その後申立人は父に連れられて長崎県に赴き同県内を転々として生活していたが、申立人が一五、六歳の頃父は家出し、現在父の住所生死等は不明である。

(四)  申立人は父家出後山口、広島、三重、大阪、奈良、名古屋等を転々として働き現在は肩書住所で土工として働らいている。

(五)  申立人は未就学で李文達という朝鮮名を持つていると聞いたことがあるが、警察から法務省入国管理局登録課に照会の結果李文達の氏名による外国人登録がなされていないことが判明した。

(六)  このため申立人は、外国人であるかどうかも判明せず、外国人登録も受けられない。

申立人は自動車運転免許を受ける都合もあるのですみやかに就籍許可相成りたく本件申立に及んだと謂うにある。

審按するに

(一)  当裁判所昭和三三年少第五二一号少年李文こと田島篤夫に対する少年保護事件記録、家事調査官小坂喜久雄の申立に対する調査報告書中の各記載と申立人に対する審訊の結果を総合すると次のとおりの事実が認められる。

申立人は従来田島篤三、田島篤夫、李文達(昭和一三年一二月○○日生)等と自称し、名古屋市内に生れたと主張するがこれを認め得る証拠がない。

次に前掲申立人の少年保護事件記録中の各証拠書類の記載によると、申立人の父は本籍朝鮮慶尚南道○○面○○里李英竜(一九〇九年三月○○日生)兄は同本籍李徳洙(一九二五年一月○○日生)(いずれも外国人登録を受けた)であることが一応認められるようであるが、申立人の一応父かと思われる者の生死所在が不明であり、申立人の母の氏名生死国籍も明らかでないばかりでなく、申立人の父母と申立人との親子関係の存否を明認するに足る資料がない。

又申立人が外国人登録を受けている事実も認められない。従つて申立人の父母は結局いずれも明らかでないと認めるのが相当である。

(二)  そうだとすると、その父母がともに知れないと認められる申立人が日本で生れたことを認め得る証拠がないから旧国籍法(明治三三年法第六六号)第一条乃至第四条並に現行国籍法第二条に徴し申立人が出生により日本の国籍を取得したものということはできず又申立人が出生後の事由により日本の国籍を取得した事実を認むべき証拠もないから申立人については就籍は許されないものというべきである(昭和三一年五月二九日大阪高等裁判所判決)。

(三)  なお申立人の父が朝鮮人であることを前提として考えると、申立人は朝鮮人と認められるところ昭和二七年四月二八日発効の平和条約第二条(a)において日本が正式に朝鮮の独立を承認した結果日本国内法の関係では申立人は日本の国籍を喪失し外国人たる身分を取得したものと認められる(昭和三三年三月一三日仙台高等裁判所判決)。

(四)  従つていずれの観点からするも申立人に対し現に日本の国籍があると認めるに足る証拠がないから、申立人が日本国民であることを前提とする本件就籍の申立を不相当と認め主文のとおり審判する。

(家事審判官 斎藤直次郎)

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